働く ひきこもり経験者

朝日新聞 令和元年10月21日(月)掲載

和歌山の当事者支援拠点「ハートフルハウス創」

はじめ一歩 後押し10年

和歌山県でひきこもり当事者を支援する「ハートフルハウス創はじめ」が10周年を迎え、22日に記念イベントを開きます。居場所づくりや中間就労のカフェなどを通じ、10年間でひきこもりから脱した人は少なくありません。一方で行政が支援事業の拡充を図った結果、これまでの総合的支援の継続が難しくなっているようです。(後藤泰良)

居場所と働く場併設

ハートフルハウス創は2009年、和歌山市の社会福祉法人「一麦会(麦の郷)」が、ひきこもり当事者の社会参加を支援しようと立ち上げた。当時、和歌山県がひきこもり支援に乗り出しており、県の委託事業として実施。相談事業と気軽に立ち寄れる居場所づくりでスタートし、コーヒー豆を選別してイベントで販売する就労体験などを増やしていった。
13年には、同県紀の川市の古民家に拠点を移し、「創カフェ」をオープン。翌14年に改修を終え、一部をカフェスペースに、そのほかの部屋を当事者が過ごしやすい「居場所」として活用する現在の形ができあがった。
カフェでは、ひきこもりの当事者も働く。営業は木・金・土曜日の週3日で、法人のスタッフ3人と、登録する当事者15人の中から1日平均5人程度が出勤する。当事者は好きなときに働ける。

「通ううち自分を許せるように」

カフェに登録する一人、下川紘典さん(26)はひきこもり期間が約8年という。小学3年生のときの転校で周囲になじめず、不登校気味に。いじめも経験しながらなんとか高校に進んだものの3年のときに中退し、ひきこもった。
約2年半前から週2回ほどカフェで働く。「他人に話しかけることも許されない人間だと思っていたが、通ううちに心がほぐれ、自分を許せるようになった」。趣味で小説を書いており、22日のイベントで披露する約30分の演劇の脚本も担当した。小説家になれたらとの思いもあるが、今は企業などで給料をもらって働く一般就労を一番の目標にしている。
伊藤勇人さん(37)は25歳のときに人間関係の疲れからうつ病を発症し、10年ほどひきこもり生活を送っている。やる気が出るときと出ないときの差が激しく、カフェで働くのは月1、2回。「カフェのメンバーで一番ひきこもっているのは僕です」と話す。
20代前半は、コンビニ店員や引っ越しのアルバイトをしながら、プロを目指してバンド活動をしていた。当時は統合失調症の人を見ても、ただの甘えだと思っていた。「怠けてるだけやんって。今なら、違ったんだとわかる」
何度か働こうと試みたが、いつの間にか「紙1枚をバインダーに挟むような作業もできなくなっていた」。今も出勤簿は自分でつけられない。それでも、輝こうと頑張る仲間を見て気持ちが徐々に前向きになってきたといい、一緒にプロを目指していたボーカルとライブを計画中だ。

■企業に20人超就職

創カフェの良さは、出勤しても気分が乗らなければ「居場所」の利用に切り替えられることだ。施設長の森橋美穂さん(42)は「一体になっていることで『とりあえず創に行こう』と外に出る気持ちを後押しできている」と話す。
カフェとしての人気も高い。季節の果物を採り入れた限定ランチのメニューは毎月、スタッフの当事者で話し合って決めており、やりがいにつながっている。創をステップに一般企業に就職した人が20人以上いるほか、職員らと結婚した人も出ている。

利用環境の改善模索

ハートフルハウス創をめぐる状況は今年度、大きく変化した。国が昨年度から「ひきこもりサポート事業」を拡充するなど、ひきこもりの問題解決に向けたメニューが社会的に増えてきたなどとして、県が単独事業を廃止。このため、創が一体として進めてきた「相談・居場所」と「カフェ業務」を分けざるを得なくなった。
相談と居場所は、ひきこもりサポート事業を利用し、紀の川市、隣接する岩出市との3者協定で存続した。ただ、別事業のカフェにつなぎにくいほか、2市以外の当事者を受け入れるには原則として別のスタッフが必要となり、断るケースも出ているという。
カフェは、障害者の緩やかな就労支援の場として、障害者総合支援法の仕組みで継続を図ることになった。当事者の居住地に制限はないが、障害の有無などの要件を満たさないと、国や自治体からの報酬は出ない。
一方、県はひきこもり当事者が居住地以外の支援を希望する場合、各自治体が事業者への委託などで利用可能にするよう働きかけを始めた。県障害福祉課は「県内の誰もが自分に合った場所で社会参加を目指せる『アクセスフリー』を実現したい」とする。
一麦会理事長で立命館大学教授の山本耕平さんは「和歌山県はこれまで先駆的な支援で大勢のひきこもり当事者を救った。望めばハートフルハウス創がやってきたような総合的支援を受けられる、そんなアクセスフリーを実現してほしい。全国的なモデルケースになるはずだ」と期待する。

あすイベント
22日の記念イベント「あなたと創る文化祭」は午後1〜5時、紀の川市粉河のハートフルハウス創(0736・60・8233)で。当事者による舞台やトークイベントなどがある。
古民家を利用した創カフェの店内 創カフェのスタッフら=いずれも和歌山県紀の川市